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Channel: 文壇高円寺
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神楽坂の「本」の日

 神楽坂で開催された「本のフェス」で本を売る。日本出版クラブ会館、建物が立派すぎて、いきなり心細くなるも、古ツアさんとマスク堂さんの顔を見て、ちょっと安心する。 午前十時にスタートして、最初の一時間がまったく売れない。もしかしたら売り上げが参加費+本の送料にもならないかも……と不安になる。...

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日本人口会議

 古山高麗雄著『立見席の客』(講談社、一九七五年刊)に、「こどもは二人まで」というエッセイがある。 一九七四年七月、日本人口会議が「日本が人口問題で深刻な影響を受け始めていることを確認、“こどもは二人まで”という国民的合意をめざした努力をすべきである」と「宣言」したらしい。 古山さんは「そういうことは、宣言というかたちで言われるべきものではないと思う」と違和感を綴っている。...

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読書と貧乏

 十年以上前に[書評]のメルマガで「全著快読 古山高麗雄を読む」という連載をしていた。 二〇〇五年六月二十一日号が最終回(全三十回)。 当時、三十五歳。最初の単行本が出る二年前で、まだブログもはじめてなかった。「全著快読...

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雑感

 日曜日、ペリカン時代でうつみようこ、橋本じゅんのライブ。最初から最後まで「今、すごいものを見ている(聴いている)」としかいえない気分になる。ギターのチューニングしているところまでかっこいい。 その人にしか出せない味というか、音に人が出るというか——いろいろな覚悟が、すべて歌や楽器の音になっている。 帰り道、からだが軽くなっている。五十代楽しそう。           *...

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プロセス

 春の選抜が終わって、プロ野球が開幕し、季節が変わったと実感する。 四月二日(日)、桜台poolで「ピエーポポ!ライブ」。村岡マサヒロ個展「ピエーポ!2017~春の宴~」のクロージングの宴のイベント(ポポタムズ、ボエーズ、カトリーロと吉成トライ、HERNIA15、DJ根本敬)にポポタムズのベースとして参加した。 リハーサルと本番は全然ちがう。余裕なし。...

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「整えない」こと

 ここ数日、ぼんやりと考えていたことを書いてみる。 どんな競技にも難易度みたいなものがある。見ている分にはその細かなちがいは素人目にはわからない。 難しいことを簡単そうにやるのはむずかしい。そのむずかしさは伝わりにくい。...

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春に考える(一)

 雨。寒い。二日酔い。 ずっと読みたいとおもっていた新居格の『季節の登場者』(人文會出版、一九二七年刊)をインターネットの古本屋で注文した。「日本エツセイ叢書」の一冊だ。...

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春に考える(二)

 眼高手低という言葉がある。目は肥えているけど、いざ自分でやってみると、おもうようにできない、知識に技術(技能)が追いつかない——そういう状態を意味する。 二十代のころ、本ばかり読んでいて、文章が書けない時期があった。 自分の考えているようなことは、誰かがすでに書いている。わざわざ自分が書く必要はない。 そうおもうこと自体、すでにいろいろな人が書いている。...

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春に考える(三)

 すこし前に『街の哲学』(青年書房、一九四〇年刊)を再読していたのだが、この本の中に「鮒を釣る卓」という随筆がある。《エネルギーが減退し、読書執筆がスロー・モーシヨンになつて来た今日このごろではわたしには何といつても時間が大切だ》...

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春に考える(四)

 新居格の『心のひゞき』(道統社、一九四二年刊)に「春に考へる」というエッセイがあって、自分もこの題名で何か書いてみたいとおもっていた。 この本の「自序」でも、あいかわらず、新居格は、自分に才能がない、学浅く、見聞狭く、生活の振幅がひろくない……云々とぼやいている。《たゞ、わたしはありつたけの自分で書いてゐる》《この書は表題の示す通り、平人であるわたしの心のひゞきなのである》...

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春に考える(五)

 新居格著『生活の窓ひらく』(第一書房、一九三六年刊)の「あとがき」で、自分は生活のために執筆してきたと告白する。《ではあるが、如何に稚拙であつても、わたしはわたしだけのものでありたい、とは望んでゐた》 新居格は自著の「序」や「あとがき」で同じようなことをくりかえし書いている。何か儀式のようだ。...

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春に考える(六)

 この一ヵ月くらいのあいだ、あれこれ考えていたこと、自分の心境の変化を書き残しておきたい——そうおもいつつ、「それって何の意味があるの?」という抵抗感がある。「私の随筆は云はば私だけに意味する随筆であるかも知れない」と綴った新居格もそんなおもいにとらわれていたのではないか。そんな気がしてしかたがない。 新居格の『生活の錆』(岡倉書房、一九三三年刊)に「春の淡彩」という随筆がある。...

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春に考える(七)

『生活の錆』の「春の淡彩」の「そうした因襲的な言葉による阻止ほど甚だしいものはない」という文章のすぐ後に、新居格は語調を強め、こう綴っている。《そんなことをいひたがるものこそ文明の敵であり、人類の敵である》 四十代半ばで、新居格が水泳とダンスをはじめたとき、まわりから「いゝ年して」みたいなことをいわれたんでしょうねえ、たぶん。...

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春に考える(八)

 新居格の著作の序文やあとがきはいつも同じようなことを書いている。よくよく考えてみると、ちょっと変だ。...

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春に考える(九)

 和巻耿介著『評伝 新居格』(文治堂書店、一九九一年刊)の冒頭付近に、新居格の直筆の短歌が転載されている。《路と云ふ路は羅馬に通ずれば ドン・キホーテよ でたらめに行け》(「短歌研究」昭和十二年六月号) 新居格、四十九歳のときの歌だ。 わたしは短歌の世界には不案内なので、この歌のよしあしはわからない。でも「でたらめに行け」という言葉には、新居格のおもいがこもっている気がする。...

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課題

 天気予報、東京の最高気温二十八度。室温は二十五度くらい。暑い。 月曜日、荻窪。ささま書店に行く。編集工房ノアの品切本が並んでいる。大槻鉄男『樹木幻想』をはじめて見た。函入りだったとは。 久しぶりにタウンセブンで鯖の押し寿司を買う。もうすこし荻窪界隈を散歩しようかとおもっていたら、小雨。家に帰る。...

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一段落したので

 ゴールデンウィーク進行を無事クリアした。 こつこつ期日を守り、きっちりできることをやる。地味だけど、その積み重ねが、ささやかな生活を維持につながる。 一枚の絵をある人は一筆書きのようにさらっと描く。ある人は何ヵ月もアトリエにこもって描く。 どちらがいい絵になるか。それはわからない。絵の価値は、作業時間に比例しない。 文章も苦労して書いたからといってよくなるとは限らない。...

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応援歌について

 ラジオでプロ野球を聴いていると、知らず知らずのうちに、選手の応援歌をおぼえてしまう。...

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風来坊 ふたたび

 五月三日(水・祝)、京都の徳正寺にて岡崎武志さんの トーク&ライブ「風来坊 ふたたび」を開催します。 会場で一箱古本市もあります。 わたしが岡崎さんとはじめて会ったのは高円寺の「テル」という小さな飲み屋でした。そのころ、岡崎さんは三十代後半、わたしは二十代半ば。...

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手探り

 野見山暁治の『うつろうかたち』(平凡社)に「手探りが終わったとき絵が終わる」という言葉が出てくるのだが、なんとなく、「絵が終わる」の「終わる」を「ダメになる」みたいな意味かと一瞬勘違いしてしまった。...

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